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ヘルパー嫁のつぶやき介護ブログ Part2

H28・7月に義母永眠。介護終えたか?と思ったら…次は義父。認知発症からの記録を書いてます。

Top Page › 思い出 › 3回目の命日
2019-07-08 (Mon)  20:43

3回目の命日

3年前の今日。お婆さんが亡くなった日。

あの日のことは今でも鮮明に思い出せます。あの年は毎日30℃越えする気温が続てた年でした。
ここも最高気温38℃まで上がった日が随分ありました。

お婆さんの認知介護を始めて8年が過ぎようとした年でした。
最後は自宅看取りをと思い頑張って行ってましたから。

いつものように仕事へ出かける前に、4時に起き犬の散歩と庭の掃除を終え、お婆さんのオムツを交換しようとジジババの部屋へ入った時です。

確かに夜エアコンを自動に切り替え暑くならないようにしてたんですが。
部屋の障子を開けた途端・・・むぅ~っとする暑さ。

覗いてみたら、お婆さんは喉をかきむしってる感じで汗をかいてました。今思えば熱中症だったのかと思えるけど。
当時はそんなことより、部屋の暑さと、お婆さんに冬布団がかけられてたことでした。
びっくりし、部屋を涼しくし布団をはいで、お婆さんにお水を飲ませようとしたけど・・受け付けませんでした。

お爺さんに、なぜ布団を掛けたのか聞いたら・・・(その時はまだまともでしたから・・お爺さん・
お婆さんが毛布を蹴飛ばしてたんで寒いと思い布団を掛けたとのこと。
お爺さんを叱咤しましたよ・・その時は。 でも、お爺さん何がどう悪かったのかわかってなかったようで。
「こんな暑いのに布団掛けたら死んじゃうよ!」そう言ったことも忘れられません。
お婆さんの様態が段々悪くなり主人を呼び「もしかしたら今日危ないかも」と伝え、ここのお孫さんたちを呼ぶようにお願いした。
その後、訪問医に連絡を入れ来てもらいました。
・・・・先生・・・お婆さんの様態を見て・・・・ 今日が山ですね・・・と一言。
危篤状態になった時はどうしたら良いか聞きましたら。
亡くなった時間帯を覚えておいてください・・
ん?亡くなった時間帯?いつなくなるかわからないのに、先生は来てくれないのか聞いたら。
ここ数時間ですよ・・と。
先生が来てくれた時間は、7時・・・

そこからほんと・・数時間・・・3時間半ぐらいで息を引き取りました・・・。
人間死に方もいろいろあるんですね・・・・。
眠るように亡くなる方と。お婆さんのように苦しんでるように亡くなる方と・・・
ただね・・・なぜ私が今日危ないかもと言ったのは、介護の仕事をしておりましたので状況が見てわかったんですね。
顎呼吸始まった時は・・・近いんですよ・・・。大きく息を吸ったり小さく気をはいたり・・その様子を見て・・・
今となっては・・思い出みたいなもんになってしまいましたが・・・

昨日、お墓掃除をし、今日お爺さんを連れて行きました。
行く途中、お爺さんの産まれ在所の所を通ったんですよね。
その時、主人の思い出の土地でもありましたし、車を止め説明してたんですが。。反応なし。
もう忘れたのかな~。。主人小さな声で・・・もう忘れてしまったか・・・仕方ないな・・と。悲し気でした。

せん妄の時は、誰かと話。幻影の時は お婆さん(お爺さんの祖母のこと)におかしを持っていくんぢゃ~と言ってたけど。
今は言わなくなりましたが。
お墓へ行ってもなぜここに来たのか・・わからない様子。
車いすに座りながら墓標を眺めているんで。
「お爺ちゃん、今日は婆ちゃんの命日だからお墓に来たんだよ。拝もうね」そういわれて手を合わせ拝み始めました。
なんかなぁ~・・性格きっちりして几帳面な人が・・・なんて後ろ姿見て悲しくなったけど。
私より悲しいのは主人ですよね。我が親の変わり果てた姿を二人も見てるんですから。

夕方。お爺さんが寝てる間、二人で少しだけお酒を呑みました。
主人は男だし、あたしよりも年齢が上で泣き言を言いたくなかったんだろうけど。
呑んでる顔を見ただけで悲しみが分かりました。
そうだよね・・・我が親二人とも認知になり老いてるんですから。
一言・・ぽつんと・・・
俺も親父やおふくろのようにボケて何もかも分からなくなってしまうんだな・・・と。
認知には遺伝性があるか無いかはわかりませんが・・・後の20年後には増えてるでしょうね。
その時の日本国家の福祉はどうなってるんでしょうかね・・・
私たちが、親と同じ年代になり認知になった時、国はどのように福祉環境を整えてくれてるんでしょか。
子供世帯に介護と言っても・・・どうなんでしょうね・・・・時代は移り変わりしますからね・・・
嫁の立場として・・親を見るということは大変なことです・・・(シミジミ・・・
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最終更新日 : 2019-07-08